5月31日(火)

6:00  起床

6:30  朝食

7:15  黒潮旅館の前で、ご主人の堺さんと全員で記念撮影。

 

7:20  荷物を持って出発

7:30  最後の作業開始。
      田上先生手書きの通し番号札を箱一つ一つに貼りつける。
      2階の段ボール箱を1階に運ぶための置き場を長机の脚を折って作成。
      千葉先生、水上さんも来て、様子を確認し、漁協から来た若者に作業の指示。
      (窪田、小熊作業)黒潮旅館の冷凍庫で凍結してあった最重要資料6点を漁協に運び、
      番号を与え、通し番号1の段ボールに詰める。それをマル栄さんの冷凍庫に運び、
      そこに保管してあった4つの段ボールに通し番号を張る。

9:00  すべての段ボールに通し番号が貼られる。合計145箱。
      漁協の職員によって2階の段ボール箱すべて1階に下ろす。
      これで、明日奈良から到着する10トン冷凍車に運び入れる準備完了。


9:15  島内巡見出発(堺さんと小松さんの車に分乗)

      亀山頂上:風光明美な風景ではあるが、山の中腹に山火事の跡。地震のあと
      油が流出し、それに火がついて文字通り「火の海」になったという。強風の
      ため火が飛び火して、あちこちが山火事に。地震、そのあと津波、そして火
      事。恐怖の連鎖に地元の人々の苦悩を思い、心が痛む。

      大島神社:大きな岩がご神体。神殿の奥にその岩が鎮座する。神主さんご夫
      妻の歓迎を受ける。こういうときに、人との心の触れ合いを感じる。
      小田の浜から長崎の集落に抜け、そこにある昭和8年の地震の碑を見学。
      漢文で書かれてある。タイトルは英語で書かれ、珍しい碑文の形式である。
      その時、島の2か所が津波で横に分断され、島が3つに分かれてしまったと
      いう。以前から、地震津波の恐怖にさらされてきた島を実感する。

      漁協に戻る途中、港から亀山へのロープーウェイのロープが分断され、駅が
      破壊されている姿が目に焼きつく。

10:50 千葉勝衛先生が、我々を労うためにご自宅に案内してくださった。千葉先生
      が初めて民俗学に目覚めたという昭和17年に購入された柳田国男の『子ど
      も風土記』を見せてくださった。その後購読されていた『旅と伝説』『民間伝
      承』をお出しになり、さらに大島の初代組合長である菅原熊太郎と柳田の出
      会いが書かれている『雪国の春』を手にしながら、その当時の話をしてくだ
      さった。そして、うれしいことにこれらの本を常民研に寄付してくださると
      いう。ありがたいお話であった。そのあと、佐野所長はすかさず千葉先生に聞き書き調査開始。

11:30 聞き書きを続けれ佐野所長を残して、われわれは千葉先生宅を辞する。

12:00 名残を惜しみながら、フェリーで大島を出発。

      気仙沼駅前の食堂で昼食。そのあと、お土産物屋で買い物。

14:26 気仙沼駅発。

15:49 やまびこ号で一関発。

18:48 東京駅着。解散。お疲れさまでした。

(文責 小熊)